「けものフレンズ」は人間の矛盾を許す。ほとんど宗教。

SHARE

「けものフレンズ」は人間の矛盾を許す。ほとんど宗教。

おはよー!!!ひらがなが書けるフレンズこと市根井だよ。

すでにジャパリパークにご入園されたみんなはご存知の通り、太田市出身の内田彩さんが声優として出演しているアニメ「けものフレンズ」がテレ東で放送されています。

え?まだ入園してない?それって動物愛護法に違反してない?大丈夫?

大丈夫じゃないです。「けものフレンズ」は、なんと人類や世界を考える素材として非常に便利なアニメなのです。

というわけで、群馬のみなさんも「けものフレンズ」から人類について考えてみましょう。いざ入園!

けものフレンズとは

巨大施設「ジャパリパーク」に記憶喪失の状態で現れた「かばん」という子が、謎のエネルギー体「サンドスター」の影響で変身して少女の姿になった動物たち(フレンズ)と共に、様々な場所で様々なフレンズの助けを借りながら自分の正体を知るべく「図書館」を目指す・・・という物語。

最初は可愛いフレンズたちがワイワイキャッキャするだけのアニメかと思われた本作ですが、回を重ねるごとに多くの謎をはらんでいることが分かってきます。

次々に表れる謎と考察

「かばん」と一緒に旅をする「サーバル」ですが、偏差値が2くらいの語彙力なので見ているだけでバカになる気がします。そしてフレンズたちのビジュアルはめちゃくちゃ可愛い。

さらにストーリーや展開にドラマ性がほとんどない。「かばん」たちの身に深刻な危機も起こらないし、出会うフレンズたちはみんな優しい。

これらのことから、表面上は「フレンズたちを見ること」、つまりキャラクターを消費させることを目的としているように見えます。

しかし廃墟の遊園地の写真が淡々と映されているだけのエンディング、一緒に旅をしているロボット「ボス」がフレンズたちとは全く会話ができないこと、「かばん」だけが正体が不明で道具の使い方を知っていることなどから、

  • ジャパリパークは人間がエゴで作った動物園なのではないか?
    「かばん」は「人間のフレンズ」なのではないか?
    人類は動物の力を借りなければ生きられないということを伝えたいのではないか?

などの考察が飛び交いました。

CK@デジモノに埋もれる日々さんのブログ記事などが分かりやすいと思います。

「けものフレンズ」は4話で豹変して着火した。ヒトがもたらす「叡智の時間」のこと

要するにこのアニメの構造としては、「この先どうなるんだろう?」というワクワクではなく、「制作側の意図はなんだろう?」というところに視聴者を導くような感じになっています。

考察が出ることは予想されていた?

ここで考えたいのが、制作側は視聴者からこのような考察が出ることを容易に予想できたのではないか?ということ。

なんせ毎回の話にドラマがなさすぎるからストーリーに一喜一憂することもできないし、CGで描かれているので作画についてアレコレ言うこともできません。
何より、見れば誰でもわかるような明らかな謎が配置されています。

こんなものを「アニメ」という1週間に1話進む媒体で放送したら、みんなその謎に食いつくじゃないですか。
その都度ドヤ顔考察が飛び交うことくらい想像がつくのではないでしょうか?

ということは、「けものフレンズ」は考察が出ることすらも見据えて作られている可能性があります。

人間は世界を操作する系のフレンズ

ここで、話を「人間」という生き物に寄せてみます。

有本典文さんと岡部大介さんが2008年に書かれた「デザインド・リアリティ」という書籍があります。
それによると、人間は与えられた世界を生きるのではなく、自分たちのための意味や役割を与えて任意に操作する(デザインする)ことで元々の能力の限界を超えることができる生き物とのこと。

例えば「この本の153ページを開くぞー!」って思っても人間の目や指先の性能ではほとんど無理ですが、「本の端っこを折る」「しおりを挟む」といった工夫ひとつで簡単に解決できる・・・といったように。

つまり人間は、世界を操作する系のフレンズなのです。

これを拡大して考えると人間は利己的で自然を崩壊させるとか思われがちですが、こうでもしないと人間は生き延びてこられなかった。叡智を駆使して世界をデザインしない限り、動物たちの爪や牙、荒れ狂う天候に襲われて一瞬で滅びてしまいます。

そして、世界を操作しないと人間の生活は維持されないので、我々は日々そのデザインを更新するために活動しているといっても過言ではありません。

動物園は見世物にされている動物がかわいそう、保健所における犬猫の殺処分は酷い、人間の居住のために森林を伐採するのは環境破壊だ・・・など、人間が自然に介入することは良くないこととして扱われる風潮があります。

しかし、「かばん」がやっていることは、まさにそれなんですよ。

人間の存在を具現化したような「かばん」は他のフレンズたちにはない知恵を使って問題解決をします。
例えば川に橋をかけたり、家を作る時に役割分担を提案したり・・・
もうこれは、言ってしまえば自然への介入じゃないですか。丸太や動物といった道具を駆使して、世界をデザインしてるじゃないですか。

さらに、けものフレンズを観て考察している視聴者も同じ。
けものフレンズというアニメを観て、「ここはこういう意図があるのでは」と考え、どうにかして理解できるように意味を与えようとしているじゃないですか。

それなのに「人間のエゴで自然や動物に介入するのは悪!」と叫ぶのは、矛盾しているのではないでしょうか。

けものフレンズは、そんな人間の矛盾さえも包み込む

人間は矛盾している。
けものフレンズはその事実を見事に暴きました。

しかし、それでもジャパリパークは人間を追い出すなんてことはしません。

けものフレンズのOP「ようこそジャパリパークへ」の歌詞にもあるように、ジャパリパークには「けものは居ても、のけものは居ない」のです。

サーバルちゃんは「すごーい!」「わーい!」「たのしー!」くらいしか喋れませんが、僕はその中に「人間は人間らしく生きてよい、それが動物たちへ何か影響を及ぼしても、それだって自然の一部だよ・・・」というような許しのメッセージを感じます。

だから僕たちは安心してバカになって、けものフレンズを観ればいいのです。
時に小難しい考察を垂れたっていいのです。

ジャパリパークは、人間の矛盾も含めて、世界全てを許し、包み込む楽園なんですから。

ほとんど宗教ですね。

(Visited 89 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です