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2017年11月30日、「赤城クローネンベルク」という友人が死んだ。

「原風景」という言葉がある。

それは人が大人になる前に、原初の体験をした場所の風景のことを指す。

簡単に言うと、思い出の場所ってことだ。

 

人はそれぞれの原風景を持っていて、実家の庭だったり、公園だったり、友達の家だったり、学校だったりする。

 

 

 

たとえば、あなたの原風景のひとつが「夏、友達の家」だとして。

そこには友達とマリオカートをしてムキになって喧嘩したり、友達のお母さんが麦茶を出してくれたり、畳に寝転がってコロコロコミックを読んで爆笑したりと、何らかの体験があったはず。

当時の気温、匂い、感情。

それら全部を含めたものが、原風景。

 

つまり、原風景っていうのは自分の記憶の中にしか存在しないんだよね。

だれかと同じ場所かもしれないけど、だれとも異なる唯一無二の風景。

 

 

そんな思い出の場所は、たまに失くなることがある。

 

僕の原風景のひとつである「赤城クローネンベルク」というテーマパークは、2017年11月30日17時をもって閉園した。

相変わらずのクローネンベルク

 

赤城クローネンベルク最終営業日の午前11時ごろ、僕は駐車場に車を停めた。

1年ほど前、クリスマスのイルミネーションを見に来ていたので、「閉園を見届けるか〜」くらいの気持ちで門をくぐった。

 

 

そこには、1年前となんら変わりない赤城クローネンベルクがあった。

そうそう、こんな感じ。最後の日にも関わらずお客が少ないのも、相変わらずという感じだ。

 

 

 

ここに来て、1年前は奥(写真の階段を上がって左のエリア)には入れなかったことを思い出した。

その時はクリスマスイベントで特別に夜遅くまで開園していた。でも、夜に開放されていたのは写真で見える範囲のエリアだった。

 

階段の奥には何があるんだっけ…。

 

階段の奥にあったもの

 

そこには、

 

 

 

茶色のヤギがいた。

 

 

蒸気機関車に似せたトレインが走っていた。

 

 

トーマスに似せたミニ機関車がいた。

 

 

「ドイツ」のテーマパークなのに、真実の口があった。

 

 

あひるボートがあった。

 

 

変形自転車に乗れる場所があった。

 

 

ウシがいた。

 

 

羊の追い込みショーが開催されていた。

 

 

ゴーカートがあった。

 

・・・

 

あった。

何歳の頃だったかは忘れたけど、家族でここに来たことを思い出した。

さっき挙げたもののうち、どれを体験して、どれを体験していないかは分からない。

 

でも、確かに覚えている。

その時父は生きていたし、母は若かったし、弟は泣いていた。

 

 

 

ここまで来て初めて、「赤城クローネンベルクは自分の原風景のひとつ」ということを知らされたのであった。

 

余命宣告された友人を目の前にしているようだった

目に入る風景、音、匂い、すべてが自分のものになった。

 

 

すると、関連する記憶がどんどん流れ込んでくる。

 

当時、難しい漢字は読めなかった。

動物が苦手で触れなかった。

同じクラスの、隣の席の子が好きだった。

星座の本を読んでいた。

両親はよく喧嘩していた。

弟の頭を殴った。

ひいばあちゃんが生きていた。

 

そして、あと数時間で閉園する、この赤城クローネンベルクで遊んでいた。

 

この場所と自分の間に、思い出があったということを思い出した。

僕たち、友達だったんだね。

 

 

そんなわけで想像せずして「君の名は。」みたいなことになり、「明日以降、この景色を目にすることができなくなる」と思った途端、余命宣告された友人が目の前でベッドに横たわっているような感覚になった。

 

オイ、やばいじゃん。死ぬじゃんお前。

俺たち、二度と会えなくなるじゃん。

お前を忘れちゃうかもしれないじゃん。

 

この場所を思い出すためのトリガーが消える

そうなってくると、もう全部が全部切ない。

「ここに来れば思い出せる」という希望を失った赤城クローネンベルクは、あまりに切ない。

 

園内に響く陽気なBGM、ヤギの鳴き声、蒸気機関車風トレインのエンジン音、動物の匂いが混ざった風。

これらを、今、脳のシワに深く刻み込んでおかないと、いつか記憶から完全に消えてしまう。

 

今、感じられる全てを感じなきゃいけないと思った。

 

 

レストランはバイキングだったから、できるだけ多くの種類を取り皿に投げ込んだ。

ソーセージはそこそこ脂っこくて自分好みだった。

 

 

昔は近づけなかったけど、アルパカやヤギに餌をやった。

やっぱり怖かった。

 

 

売店でホットコーヒーを注文した。

一瞬で提供された。あんまりおいしくなかった。

 

 

そのまま座って、暗くなっていく様を眺めていた。

 

悲しいけど、あと少しで君とはお別れだ。

 

赤城クローネンベルクの閉園は、友人の死だ。

 

閉園まで30分、この時点でメンタルがボロボロになっているのに、追い打ちをかけるように蛍の光が流れ始めた。

 

そしてついに、入り口の塔に明かりが灯った。

 

「17時をもって、当園は閉園いたします。長らくのご愛顧、本当にありがとうございました」というスタッフのアナウンスが流れる。

子供がベッドの中で死にゆくのを受け入れて、こちらに微笑みかける親のように感じた。

 

 

本当にお別れの時が来てしまった。

 

 

何度も後ろを振り返りながら、それでも駐車場に向かって歩いた。

 

 

出口では、スタッフ一同が退園するお客ひとりひとりに「ありがとうございました」と頭を下げていた。

 

ああ、本当に終わったんだな、と思った。

 

 

自分が思い出を共有していたテーマパークの閉園は、友人の死だ。

 

今後この跡地に何かの施設が出来たとしても、僕の中の「赤城クローネンベルク」の門は、二度と開かない。

 

ギャラリー

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