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江戸時代に大ブーム!全国シェアNo.1の火打金が『吉井』にあったこと、忘れないで

 

こんにちは、gooma編集長の市根井です。

突然ですが、みなさんはについて深く考えたことがありますか?

毎日の料理はほとんど火が通ったものだし、自動車もガソリンと空気を燃やして動く。ボイラーがなければシャワーにも当たれない。人間の生活は、火がないことには始まらないものです。

そして僕たちは今、その火を、昔と比べてずっと「当たり前」に扱っています。

・・・

火の大切さを訴えるような導入に、思わず「林間学校かよ」と言いたくなるかもしれません。

お答えします。今回は林間学校です

火の歴史をおさらいしながら、火の重要性、人間との関わりを学ぶ。そういう回です。

 

とはいえ、「その昔は木の枝をきりもみして火を起こしていたんじゃよ」みたいな基本的な歴史については、みなさんもすでにご存知かと思います。

 

でも、その「昔」と「今」の間には、忘れられがちな着火方法が存在しています。わかりますか?

ほら、あれですよ!あれ!

 

 

火打石と火打金ですよ!

石と金属を打ち合わせ、出る火花をもとに火をおこす……つまりは火花式着火法。

現物を見たことはなくとも、時代劇などで使っているシーンを目にしたことはあるのではないでしょうか。

 

実はこのうちの「火打金」に関して、日本全国で大ヒットとなったブランドがあるんです。

それがどこかと言えば……群馬県高崎市の、吉井

つまり火打金に限定すれば、群馬が全国で最も優れた場所だった時代があるというわけです。

 

これってすごいことじゃないですか?近年さんざん「群馬は魅力がない」とか「おみやげがショボい」とか言われているけれど、実はものづくりでトップになったことがあると。しかも吉井にはものづくりのイメージがあまりないので、さらに驚きです。

最速の着火法は「キリモミ式」!?火の歴史をイチから学ぶ

そんな噂を聞きつけ、「これはぜひとも詳しく知りたい!!!」と変なスイッチが入ってしまった僕。

さっそく、吉井の火打金をよく知る人物に取材を行いました。

 

落合さん:「どうもこんにちは!今日はどれくらい喋ってOK?」

ワハハ、とワイルドに笑うこちらの方が、高崎市でアウトドアショップ『MIXX(ミックス)』を経営する落合一雄(おちあい・いちお)さん。吉井の火打金に魅せられ、全国でその魅力を伝えている人物です。

 

市根井:「なるべく詳しく伺いたいので、お好きなだけ語っていただきたいです!でもひとまず、例の火打金が見てみたいです……!」

落合さん:「おっ、いいですよ〜。代表的なものはこの2種類です」

 

落合さん:「左は丹尺型、右はカスガイ型と呼ばれているものです。これはずいぶん年季が入っちゃってますが、本来はもっと綺麗な色ですね」

市根井:「おおお……!渋い!これ、実際に使えるんですよね?」

落合さん:「もちろん!石と打ち合わせて火口(ほくち)に引火させればね。キャンプで使うこともできますよ」

 

火打石。火花を出すためには、ある程度の硬度が必要

市根井:「キャンプに火打金と火打石を持っていって火を起こす人、想像したらかっこよすぎる…」

落合さん:「そう、かっこいいんですよ!」

市根井:「しかも、この吉井の火打金は全国でも一番火花が出るものだったと?」

落合さん:「そういうことです。せっかくだから、火起こしの歴史をおさらいしながら説明しましょう」

 

落合さん:「ご存知の通り、火起こしは摩擦式から始まります。原始的な着火方法だと思われがちですが、実は戦国時代までは摩擦式が一般的で、それまで火打石や火打金は普及していません。なぜだか分かりますか?」

市根井:「うーん……なぜでしょう……?」

落合さん:「鉄が高価すぎたからです。戦に使われていた刀の原料も鉄なわけで、一般庶民が手に入れられるものではありませんでした」

市根井:「確かに、鉄を他のものに使うなら刀を作ったほうが良かったわけだ」

落合さん:「それが徳川幕府になってから戦がなくなり、刀鍛冶職人の仕事が減った。そして同時に鉄の価値も下がりました。そうなって初めて『鉄で何か作れないか』という話になり、火打金が作られるようになった……つまり、火打石・火打金は江戸時代から広まったものなんです」

 

市根井:「なるほど、原料である鉄が関係していたんですね……。ちなみに、この弓みたいなやつは使われていなかったのでしょうか?」

落合さん:「マイギリ式ですね。これは基本的に神社仏閣の儀式用なので、庶民の火起こしには使われていません」

市根井:「そうだったんですね!てっきり全国的に、枝をきりもみする方法からマイギリ式に移行したものかと思っていました……」

 

落合さん:「ちなみに、こういった器具を使う方法より、キリモミ式のほうが早く着火できるという実践研究もあるんです。すごいでしょ?」

市根井:「え、キリモミ式ってあのキリモミ式ですよね。枝と板だけでグリグリこするやつ…」

落合さん:「そうです。岩城正夫さんという先生が一万回以上試した結果、キリモミ式なら10秒〜30秒で着火できることが分かっています」

市根井:「早っ!!!」

落合さん:「ただし、めちゃくちゃ疲れますけどね

市根井:「疲れるんかい!……それにしてもすごい根性ですね、その先生」

落合さん:「岩城正夫さん、覚えておいてくださいね。火起こし界隈でこの人を知らなかったらモグリですよ。」

市根井:「ひ、火起こし界隈……」

「吉井の火打金は凄いぞ!」江戸から全国に伝わる口コミ

市根井:「火打石や火打金は江戸時代から広まったとのことでしたが、吉井はどうやって全国トップになったのでしょう?」

落合さん:「吉井の火打金ストーリーは、武田配下の子孫である近江守助直(おうみのかみすけなお)という刀鍛冶職人が火打金を作ったことから始まります。江戸時代初期のころですね。」

市根井:「おうみ、の、すけ…?」

落合さん:「おうみのかみ、すけなおです。」

市根井:「すみません……」

落合さん:「続いて本格的に江戸時代に入ると、多くの職人が火打金を作るようになります。岡田家、横田家、福島家といったように

市根井:「ひとりの職人ではなく、吉井全体で火打金製造の流れがあったんですね。しかし……その事実は、どのようにして全国に広まったのでしょうか?」

落合さん:「お伊勢参り、という言葉を聞いたことがあるでしょうかね。当時はお参り以外で外部に移動することが難しい時代だったので、みんな伊勢神宮へのお参りという名目で旅行を楽しんでいたんです。でも伊勢神宮は三重県にあるから、江戸からは遠い。というわけで、今の長野県にある善光寺へお参りをする人も多かったんです。」

市根井:「なるほど!つまりは東京と長野の間にある群馬を通ることになるわけですね」

落合さん:「そうです。しかし正規ルートである中仙道を通るときに出現する壁が、碓氷峠の関所です」

市根井:「中仙道と碓氷峠…上毛かるたの『な』と『う』の札でおなじみの場所だ!」

落合さん:「この碓氷関所、とにかく検問が厳しくて、クリアできる荷物が限られていたんです。だから、旅人はみんな裏ルートを通っていた……その通過点にあったのが、吉井なんです

市根井:「繋がった………!」

落合さん:「吉井宿に立ち寄った人は土産として火打金を買い、それを喜んで江戸に持ち帰った。それが評判になり、口コミが全国に広がり、ついには独占的シェアを獲得しました」

市根井:「東京の流行イコール日本の流行というのは、今も昔も変わらないんだなあ…」

衰退する火打金文化。吉井の伝統を受け継ぐ先は?

市根井:「ちなみに…落合さんが首から下げている、そのアクセサリーはもしかして……」

落合さん:「おっ、よく気づきましたね。これも火打金ですよ。」

市根井:「やっぱり!」

 

落合さん:「2種類下げているんですが、こちらのねじり型の火打金は特殊でね。吉井の職人の中でも、もっとも優れた火打金を作っていたとされる中野一族の作り方なんです」

市根井:「中野一族…!」

落合さん:「火打石と火打金は、西洋からマッチが輸入されたあたりから衰退しました。その後、火打金を作る職人はどんどん減っていって、吉井の職人はほとんど野鍛冶職人になりました」

市根井:「野鍛冶職人というのは?」

落合さん:「包丁や、ナタなどの農具を作ったり修理したりする職人のことです。」

市根井:「なるほど……みんなそっちに移行しちゃったんですね」

 

落合さん:「でも、中野一族だけは最後まで火打金を作り続けたんですよ

市根井:「やるじゃん中野一族……!」

落合さん:「でもやっぱり次第にきつくなってきて、中野一族も最終的に野鍛冶に転向しました。仕方のないことですが…。ちなみに、このころは吉井から富岡に移ってやっていたみたいです。」

市根井:「悲しいけど、確かにマッチは便利だもんなぁ…。現在はどうなっているのでしょうか?」

落合さん:「いまはお弟子さんが、榛東で鍛冶屋をされています。」

市根井:「続いてるんですね!?すごい!!」

落合さん:「鍛冶屋としては、続いていますね。私もそれを知って驚いて、中野一族伝統の製法でどうしても火打金を作ってほしいと頼み込んだのですが、『自分は刀にしか興味がない』と断られてしまいました」

市根井:「”強キャラ”の断り方だ……でも、師匠の段階で火打金を作っていなかったから、仕方ないのかも」

 

他の鍛冶屋さんに「レプリカを作れないか」とお願いしたが、ねじり型は製造が難しく、完成前に割れてしまうそうだ

落合さん:「とはいえ、あの方はあの方で腕のいい鍛冶屋です。作ったナイフをスペインの品評会に持っていくなど、全力で刀と向き合ってますから」

市根井:「マジですごい人じゃないですか。……しかしそうなると、吉井の火打金文化は完全に途絶えてしまっている…ということでしょうか?」

 

落合さん:「…実は、受け継がれてるんですよ。東京に。」

市根井:「と、東京に!」

落合さん:「はい。もともと日本橋で吉井の火打金を仕入れて販売していた、伊勢公一商店というところが販売権や商標権を譲り受けたんです。現在でも製造されていますよ」

 

文化を語り継ぐために

市根井:「今日は貴重なお話をありがとうございました。自分が全く知らない世界だったので、ずっと感動しちゃいました」

落合さん:「いやあ、若い人が興味を持ってくれて嬉しいなあ。私は火打石の着火体験教室や、火を使ったチームビルディング学習の活動も行なっているから、火打石や火打金についての情報はどんどん広めてほしいです。」

市根井:「えっ!アウトドアショップの経営だけではないんですね。いろいろ兼任していると忙しいと思うのですが、そこまでする理由は……?」

落合さん:「子どもたちに生きる力を身に付けてほしいからですね。今ってほら、子どもを大事に大事に育てるじゃないですか? それはそれで良いことなんですが、家庭教育と学校教育の間でしか学べないものがあると思っていて。」

市根井:「ものすごい愛がありますね…!」

落合さん:「これからの世代が自然に対して興味を持つには、ワクワクやドキドキの体験が必要。そう考えた時に、小さいショップだからこそできることがあると思うんです。火打金はひとつのコンテンツでしかありませんが、火打金をきっかけにして自然や人との関係性が縦横に広がっていくんです。単純に自分が好きだからやってるのもありますけどね!(笑)」

 

 

火はつねに私たちの近くにあります。しかし、火が過去どのように人間と関わってきたのかを知る人は少ない。

火打金の場合、鉄が安価になったことから始まり、吉井産のものが全国的ブームになり、マッチの登場により一気に衰退していきました。

でも、その事実があったことは現代まで語り継がれています。

 

文化のバトンを次の世代に手渡すためには、歴史を深く知り、未来に向けて最適化しなければなりません。

どうかそのためにも、吉井の火打金文化があったということを、忘れないで。

 

取材協力

MIXX(ミックス)
所在地:高崎市九蔵町25番地1 WESTIN1ビル1F
※11月下旬に、以下の住所への移転が予定されています。
高崎市箕郷町上芝648番地1

営業時間:11:30~17:00
お問い合わせ対応時間 10:00~17:00(平日のみ)
休業日:日曜日・祝日

なお、11/14(水)BS日テレ21時〜22時「極上!三ツ星キャンプ」にて、オーナーの落合さんが火起しの達人として出演されます。絶対チェック!

 

文・写真=市根井(gooma編集長)