動植物の住処であるだけでなく、僕たちの生活を影で支えている「森」。
山から森を通って流れ出る川は飲料水になり、そびえ立つ木々は土砂崩れを防ぐ。僕が今座っているカフェの木製の椅子も、森から生まれています。
しかし、人と森が共存していくためには、誰かが管理しなければなりません。
木が生えすぎると森全体が暗くなり、影になった木は日光が届かず痩せ細る。さらに獣によって木の皮が剥がされると、簡単に枯れてしまいます。
その管理の役目を担うのが、林業という産業です。
人が森を利用するなら、利用に適した状態に保つ必要がある……。
群馬県みどり市。
合併によって平成18年に生まれたばかりの若い市ですが、わたらせ渓谷鐵道や岩宿遺跡などの歴史的に有名なスポットもある場所です。
なぜいきなりみどり市の説明…?と思ったかもしれませんが、何を隠そう、このみどり市でたった一人で林業をこなす方がいるというお話を耳にしたんです。
そして今回はみどり市観光課の皆様にご協力いただき、その方に取材させていただけることになりました。
ふだん関わることの少ない業種であるうえ、一人で作業するなんて全く想像がつきません……。
「(車が)一回止まったら終わりだから」
小林 昇(こばやし のぼる)さんは、実はみどり市役所の元職員。
「木に関わるために転職する」という珍しいキャリアの持ち主です。
「今日は取材を受けていただきありがとうございます!林業のこと、学ばせてください」
「はい、よろしくね。さっそくだけどまずは現場を見てもらいたいので、付いてきてもらってもいいかな?」
「分かりました!」
「ちょっと坂道が急だし舗装もされてないから、気をつけてね」
「エッ!!ここを登るんですか!?」
「そうそう、アクセル踏みっぱなしで登って来てね。一回止まったら終わりだから」
そう言い、そそくさと坂を登っていく小林さん。
「うわ〜〜、本当に登ってる……」
写真で見る以上にめちゃくちゃ急勾配で、かつ道が細く、カーブもたくさん。
もちろんガードレールなどは存在せず、正直この坂を登りきった時点でかなりお腹いっぱいになりました。
「死ぬかと思った……」
「お疲れ様、スリルだったでしょ」
「こんな場所まで毎日通ってるなんて信じられない」
熊は減らすしかねえ
「それじゃ、爆竹鳴らすから離れててね」
「なんで!?」
パパパパン!!!
「十数年ぶりに爆竹の音を聞いた」
「この辺りは熊が出るからね。爆竹鳴らして、『これから人間が入りますよ』ってことを教えるんだよ」
「熊」
「まあ、まだ出会ったことはないんだけど。痕跡があるから、ここまで来てることは確かだね」

エグめに残っている熊の爪痕
「熊は人を襲うことがあるだけじゃなくて、皮を剥いて木を駄目にしちゃうからね」
「なるほど…でも、熊は何のために木の皮を剥くんでしょうか?食べるわけじゃないですよね…」
「樹液を舐めるためってのもあるけど、単純に遊びで剥くこともある。皮が一周剥がれちゃうと木は簡単に枯れちゃうんだよ。全く、熊は減らすしかねえ」
「ほら、これなんか一周やられて完全に枯れちゃってるの。上見てもらうと分かるよ、枝が生えてないから」
「本当だ!この木だけ綺麗に一本も生えてないですね…」
「そうなんだよ。困ったもんだよね。減らすしかないのよ」
「熊に対する怒りが強い…」
「うわ!これなんか相当やられてますね。熊のパワーが分かりやすく伝わりそうな…」
「あっ、それは俺が重機でぶつけちゃったところ」
「自分かい!」
道さえも、自分で作る
「じゃあ、実際に作業しているところを見てもらおうかな。重機のエンジンが温まるまでちょっと待っててね」
「お願いします!」
「ずっと気になってるんですが、この岩デカすぎやしませんか?」
「こういう岩があると、作業道を作るのが大変なんだよね…」
「ん…?このあたりの道は小林さんが作ったんですか……?」
「そりゃあそうだよ、一人でやってるからね。道を作らなきゃ始まらない。……そうだ、ちょっと付いてきて」
「す、すごい斜面だし滑る…!」
「そりゃそうだよ。だってここ、まだ作業道作ってないもん。落ちたらお終いだけどね!」
「サラッと怖いこと言わないで〜!!」
「作業道づくり、ま〜大変なのよ。見ての通り急勾配だし、木もたくさん生えてるから。なるべく作業しやすい道に掘り進めて、滑りそうなところには石を撒いて。木の根っこを”こそげ取る”のと、ヘアピンカーブを作るのが特に時間がかかるね」

小林さんが一人で掘り進めた作業道
「道を作るだけで日が暮れちゃいますね」
「日が暮れるなんてもんじゃないよ。カーブ1つに2日くらいかかるんだから」
「2日!?そうなると、ここまで作り上げるのに相当かかったんじゃ……」
「まあ、俺は小さいショベルカーでやってるもんだから。でも、伐採した木を運ぶためには、それなりの道が必要なもんでね」
伐倒!
「……よし、エンジンが温まったから作業を始めてみるか。まずは重機の準備運動から。作業前に少しアームを動かして、油を回らせるんだよ」
「人間と同じですね!ちょっとかわいい」

作業道の妨げとなる木を倒していく
ギシッ!バキバキ!!
「音がすごすぎて見守ることしかできない……」
倒した木は、ショベルカーに装着したハサミで移動。すさまじいホールド力!
「私がやっているのは間伐と言うんだけど、森は放置すると木が生えすぎて暗くなっちゃうの。そうすると太くて強い木が育たないから、間引いて森を明るくしなきゃいけないのよ」
「確かに、最初に集合した場所とは明るさが全然違います。森はお手入れしなきゃいけないんですね」
「そうそう。今こうやって間伐していても、何十年と放ったらかしにしたら元に戻ってしまう」
「そして間伐材は間伐材で使い道があるから、いい感じの長さに切ってまとめておくんだよ」
「チェーンソーを使う姿、しびれるなぁ…!具体的にはどのように使われるんですか?」
「生活用品とか燃料にするために出荷するよ。1立方あたり杉が10,000円、檜が12,000円くらいで売れるんだけど、トラックのレンタル代とかの輸送賃がかさんでしまって、なかなか厳しいね」
「なるほど、確かにこれだけ大きいものを運ぶのにはお金がかかりますよね…」
「作業道を広げて大きい重機を使えばもっと利益が見込めるんだけど、山が崩れやすくなるというデメリットがある。だから最低限の作業道で林業をしてるんだよね。俺の場合は、だけど」
先祖伝来の森を守るために
「ちなみに、小林さんの1日の仕事の流れはどんな感じなのでしょうか」
「だいたい仕事の時間は8時から16時で、休憩は昼に20分くらいかな」
「20分しか休憩とらないんですか!? 僕はお昼の1時間休憩だけでも足りないくらいなのに…。お休みはちゃんと取ってますか?」
「休みは雨の日くらいかな。土日も仕事するし、雪の日も大丈夫そうな場所があれば伐倒するよ」
「僕も仕事で農道を作った経験があるので、農業関係の仕事は少し理解しているつもりでしたが……比べ物にならない過酷さですね」
「そういえば、小林さんはもともと市役所の職員さんだったとお聞きしたんですが、なぜここまで大変な林業に転職を…?」
「この山は先祖伝来のものでね、放っとけなかったんだ。確かにこの仕事は危険だし、他の産業と比べてもトップクラスに労災の発生率が高い。でも、誰かがやらないと、この森は死んでしまう」
「誰かがやらないと、か……」
「それに、好きじゃなきゃやってないしね!とにかく自然が好きなんだよね、俺は」
取材当日は11月の上旬、秋の真ん中。今年の日本は気温が高めでしたが、山の中では冷えを感じました。
過酷な環境の中、ひとりで林業を行なう小林さんがいるからこそ、この森は守られています。
みなさんの地元の自然も、強い使命を感じ、孤独に奮闘する誰かの手によって守られているのかもしれません。
だけど、その人はもっと多いほうがいい。
情報量が多く自由になりすぎてしまった現代において、「地元で働きたい」「自然の中で働きたい」「仕事に意味を感じたい」と考える人が増えているように感じます。
林業を始めとした「自然の守り手」は、それらの想いにマッチするのではないでしょうか?
実現できる場所は、あなたの地元にもあるはずです。
取材・執筆=Naruse
撮影・編集=市根井
(協力:みどり市観光課)