みなさんこんにちは!市根井です。
先日の取材でみどり市内をウロウロしていたとき、そういえば岩宿に大きな博物館があるなぁと思い出しました。
それがこちらの岩宿博物館。大きなドーム型です。
見るからに近未来を感じさせるディティールに胸が踊ります。
こちらの建築は空間デザイナーの田中俊行さんが主宰する空環研究所によるもので、1992年に出来たそうです。
館内もスタイリッシュで、中心にはマンモスの骨の模型が堂々と展示されています。
……と、ここまででビジュアルの強さは知ってもらえたと思うのですが、本当にすごいのはここから。
日本の歴史的常識を覆した「岩宿遺跡」
みなさん、岩宿遺跡はご存知でしょうか。
岩宿遺跡は簡単に言うと「日本の歴史に関する常識をひっくり返した遺跡」。
場所は岩宿博物館のすぐ近く(というか岩宿遺跡の近くに岩宿博物館が出来た)。
この遺跡にまつわるストーリーがめちゃくちゃドラマチックだったので、僕がKeynoteで作った渾身の図とともにご紹介します。
岩宿ストーリー 〜メンタルの強い相沢さん〜
この遺跡が発見される前、日本で最古の歴史は「縄文時代」でした。
縄文時代っていうのは土器や竪穴住居がある時代。あと貝塚も(ってWikipediaに書いてありました)
「最古の歴史が縄文時代だった」がどういうことかと言うと、「縄文時代以前は日本に人類が定住していなかった」ということが常識になっていたっつうことです。
しかし1946年に相沢忠洋(あいざわ ただひろ)さんという独学で考古学を研究していた人(しかも納豆の行商人)が
「岩宿に旧石器みたいなものがあったんだけど、これ縄文時代より前に作られてね?」
と言い出しました。
とはいえ、それまでは縄文時代が最古の歴史という常識で通っていたので他の考古学者からは完全に無視されます。
「石器あったよ〜見てちょ〜!!!」って説明して回っても、全然取り合ってもらえないわけです。
それでも相沢さんは諦めず研究を続け、やっと理解してくれた学者と一緒に発掘しまくることになりました。
そしてついに1949年、出土した石器が実際に縄文時代の前のものであることが判明し、日本に旧石器時代があったことが証明されます。やったね相沢さん!
これで相沢さんも学者たちに認められるか…と思いきや、全然そんなことありません。
むしろ目立ってしまったせいで攻撃対象になってしまうのでした。かわいそうすぎ。
なんでも、この頃の郷土史界隈は金持ちやエリートばかりで構成されていたようで、学歴のない相沢さんは格好の標的になってしまったらしいのです。
そんな批判を受けながら、相沢さんはどうしたか。
掘り続けました。
ひたすらに研究を重ねて、どんどん成果を出していったんです。
するとこれまでの批判も止み、相沢さんはちゃんと評価されるようになりました。
まさに石器で殴っていくスタイル。かっこよすぎ。惚れた。
こうして相沢さんは日本の歴史の常識を大きく覆したのでした。
ドーン!
こう見ると事の重大さに気づく。文字通り歴史を変えた男……
実際に石器を見てみる
そして岩宿博物館では、実際に出土した石器を鑑賞することができます。
………?
??????
素人目には全く石器であることが分からない。
いや、「石器だよ」って言われて見たら「確かに刀身っぽいなあ」ってなるんですが、これが土の中から突然ポロッと出てきたら絶対見逃しちゃう。
考古学者ってスゴすぎ………
それにしても、お外がきれいだな〜。
メンタルを見習いたい
というわけで、以上岩宿博物館と岩宿遺跡についてご紹介しました。
日本の歴史を大きく変えた相沢さん。功績もさることながら、とにかくメンタルが強すぎる。本当に見習いたい。
そして岩宿博物館は建築自体がカッコいいので、歩くだけでも楽しいです。みなさんも岩宿周辺にお立ち寄りの際は是非。
(※館内の撮影は許可が必要です)
ちなみに今回の話、学校の歴史の教科書に必ず載っているため「常識だろ!」と思う方もいるかもしれませんが、僕は全く記憶になかったので超新鮮でした(義務教育時代をスクールカースト最底辺で過ごしていたので、脳が気を利かせて昏い記憶をデリートしているのかもしれない)。
それでは!