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【コラム】「どっちでもいいこと」に気を取られず、クリアな気持ちで働く

2019年10月から12月にかけて行われていたプロジェクト、「福業サミット」が12月22日をもって閉幕しました。

福業サミットとは何か。「福」と「業」の組み合わせが絶妙に怪しい感じを出していますが、「自分も社会もハッピーなシゴトをつくるためのコミュニティをつくりたい」という非常にシンプルな目的を共有するプロジェクトです。これが一旦おわりましたよということで、僕がサミットの参加・運営を通して考えたことをまとめることにしました。

goomaでも以前記事を書きましたが、僕たちは意味の中で仕事をしていくのが望ましいと思うのです。今の自分の仕事が、どんな社会・世界の完成に寄与しているのかについて意識的であること。たとえば、それは日本を地方分散シナリオに近づける仕事かもしれない。反対に、都市集中シナリオに近づけているのかもしれない。全人類の人生が尊重されるインクルーシブな世界をつくっているのかもしれないし、画一的な理想にみんなが憧れる世界をつくっているのかもしれない。

人それぞれの好みがあるから、どんな社会・世界を目指すのでもよいと思っています。ただ必要なのは、そういった大きな意味の流れの中に仕事を位置づけること。自分の仕事の、社会への影響力に気づくこと。

目的を持てば、「どっちでもいいこと」に気を取られづらくなる

そして、大きな意味の流れの中に自分の仕事を位置づけることができたら、ただそれに対して誠実に動いていればオッケーなのです。現に僕も福業サミットを通して「地域にハッピーな仕事ができるつながりを作って、それが当たり前に存在する社会にしていこう」的な目的が見えてきました。

ひとたび目的を抱えれば、取引先のおじさんがちょっと意地悪でも、ひとつの案件の単価が低くても、以前ほど悩まなくなります。なぜなら、そんなことは目的を揺るがすような大した問題じゃないから

さらに、仕事を選ぶときの明確な基準を作ることもできます。「この仕事は、地域にハッピーな仕事ができるつながりを作って、それが当たり前に存在する社会に貢献するだろうか?」のモノサシで測ればいい。分からなければ発注者に「こんな社会にできそうな仕事ですか?」と聞いてみる。

これは相当クリアじゃないですか。この人とは仲良くやっていけそうかなあとか、時間がこれくらいかかるから割に合わないかもとか、そんなことはどうでもいい。「近づけば近づくほど気持ちいい目的」に貢献するかどうかを最優先すればいいんです。

ファシリテーターの反町恭一郎さん

福業サミットは3回開催され、実際にたくさんの気持ちいい仕事が生まれました。WEBサイト制作、原稿の依頼、不動産の契約、自治体と金融機関がコラボした勉強会の開催など。仕事の内容はそれほど関係なくて、大切なのは「福業サミットが中央に据えている目的」を共有したうえで発注&受注が行われていることです。

一般的な異業種交流会においては、うまくいけばですが、肩書とスキルの推測で仕事が生まれます。名刺にライターと書いてあれば原稿執筆の依頼、絵を描くのが得意なんですと聞けばイラストの依頼。でもこれには若干の不安があります。たとえば僕は(超簡潔に言えば)地方が潤うことを望んでいますが、一般的な異業種交流会では地方が搾取されるような構造になっている仕事を依頼されることがあります。そして多くの場合それに気づけない。

しかし福業サミットでは、じっくり対話をして、”お互いに顔が見える関係性”にします。そしてコミュニティの輪の中で仕事が生まれることを目指します。こうすれば「目的のズレ」が発生しにくいのです。

対話はムズいけど、やらなきゃいけない

コミュニティをつくるために対話を使いました、と書きましたけど、対話はムズいです。いつの時代であっても簡単ではないと思いますが、現代はより一層ムズい気がしています。なぜなら、物理的には同じエリアに住んでいても、同じ現実感覚を共有しているわけではないから。

簡単に言えば、同じ日本に住んでいても「何を大切とするか」が人によって全然違うっちゅうことなんです。これは完全に偏見ですが、わかりやすい例として「富裕層」と「貧困層」があります。お金持ちのご家庭では「世界に出て視野を広げるのが大事!」という価値観で育てられることが多いのに対し、比較的貧困に近いご家庭では「学歴とか視野じゃなくて社会経験が大事!」という価値観が優勢なように見えています。

この2つの価値観はまあまあ逆なので、お互いの差異が見えると「キミとはIQが違いすぎて会話ができませんね」「実働で使えねえモヤシ野郎が何言ってんだ」てな具合で喧嘩になります。壁が厚すぎるんです。

そして、こんな感じでバチバチな分断が起こっている社会で、たまに、勇気ある誰かが対話を試みます。あいちトリエンナーレの例がそうかもしれません。まあやっぱりぶつかってしまうんだけど、僕は対話することを諦めてはならないと思っています。対話は相手と自分の違いが見えやすくなる営みだから少し痛みを伴いますけど、肩書で仕事をして精神を消耗するより、傷を負いながらもコミュニティを作り上げて幸せに仕事していくほうがずっといい

そんな思いを僕に残しながら、福業サミットは2019年をもって一度閉幕しました。これには「やりたい人だけがやる、健康的な状態を維持するため」という意図があって、誰かが必要だと思えばまた開かれるのだと思います(僕かもね)。みんなも、大きな意味の中に自分を位置づけて、目的を持って働いてみると楽しいのでオススメです。